青年会議所の歩み

出雲青年会議所(JCI出雲)とは

㈳出雲青年会議所(Izumo Junior Chamber inc)とは、出雲圏に居住あるいは勤務する25歳から40歳までの品格ある青年の団体です。
全国の会員が活動しており、全国的運動の総合調整機関として日本青年会議所が東京にあります。全世界に及ぶこの運動の中枢は国際青年会議所で、98ヵ国33万名の会員が地球社会の発展のため国際的連携をもって活躍しています。

㈳出雲青年会議所の事業目標は、社会と人間の開発です。その具体的事業として「いずもネットワークセンター」を運営し「だんだんネットワーク」「広域圏青年フォーラム会議」「市民音楽祭」などによって地域を超えた青年の運動を展開しています。また他都市交流事業として6JC経済文化交流会、津山・諫早との友好都市交流を開催し、広域都市開発・交流を活発に行っています。

またボランティアとして阪神大震災の被災地への長期にわたる炊き出し、ベトナムの小学校への机等制作のため派遣を行ってきました。次代のための国際交流事業はアメリカ、サンタクララ市と出雲の小学校間での、FAXによる童話創作や韓国のJCとの交流で実績を積み上げています。そしてそれらの活動を基に、広報誌「JC Izumo」を発刊し、幅広く主張、提言をしています。

このように㈳出雲青年会議所は、会員の行動を通じて自己研鑽の達成と地域社会への奉仕の精神を養い、活動し、会員相互の親睦を図りながら、経済・政治・国際・社会・文化等の諸問題について科学的に研究し、常にその時代に対応した運動を模索し「明るい豊かな社会」の実現をめざして、市民運動の先頭に立って活動することを目的とした団体です。

⑴胎動

昭和20年の夏、終戦を迎えた若者たちは今日まで育ってきた環境と全く違った世界に向かって歩き始めました。祖国は荒れ果て、彼らを支えていたすべてが否定される世の中に変わりつつありました。精神的荒廃、経済的な混乱のさなか、何人かの青年達は自らの手で新しい時代を探し求め、活動を始めました。例えば昭和21年、出雲青年文化倶楽部がはじめた「市民文庫」は活字に飢え、文化を求めていた人に潤いを与え、昭和22年出雲市立図書館の設立へと発展しました。昭和21年3月創立した今市町青年団は、その年4月戦後最初の総選挙(島根県定員5名立候補23名)ではじめて立合演説会を主催し、当時の公会堂を埋め尽くす程の人を集め、「人格形成」を目標とする。地域青年団として島根県連合青年団結成の原動力となり、以後数年間、出雲市は青年運動の県下の拠点となりました。

全国各地で各種の青年団が活動していた昭和25年、“老廃した日本の再建は青年の手で”の声があがり、まず東京に次いで大阪に青年会議所が無限の可能性を秘めて誕生しました。

⑵創立前夜

昭和31年夏、戦争が終わって10年が経過し、戦後の混乱も終わり日本は再建への道を確実にたどっていました。この頃“お互いに自分の仕事だけに溺れないで、互いに手を取り合ってよりよい社会へなんらかの力を尽くそうではないか”と考えた5人の若者が一夜集まりました。卜部忠治、三吉英一、武田義一、佐貫彰、竹原精一の5人。昭和31年8月9日卜部宅での5者会議です。

“論ずるより行動しよう”と、とりあえず10名内外の人々に回章を回し、率直に話し合い、それでよければ更に進もうという結論に至りました。

8月12日回章により8名が集まり、和やかな内にもケンケンガクガクの論となりJC加入の話は将来のこととしても、すみやかに発足し、単なる「社交期間」ではなく「サムライ」達の集団となろうと論じ合いました。8月26日、第2回の会合で、定例日を16日と定め、会の運営は当番制とし、名称は出雲経済研究会とすることなど決定しました。以後2回の会合で、JC加入を早急に実現しようとの結論に達しました。12月16日「出雲青年会議所設立準備委員会」と名称を改め、会員の公募と定款、趣意書を検討し内定しました。

年があけた昭和32年1月、創立総会について具体的な細目を決定し、役員の人選は古い方式をとらず、投票にて初代理事長に卜部忠治君を選びました。

疾風のごとき勢いで、出雲JCは誕生への道を歩み出しました。自分の仕事をほっておいても会合に参加し、会の仕事をやっていくという姿勢があり、皆が歯車のように力をかみ合わせました。「サムライ」の意識「NOと言わない」というやり方が、会全体を支配していました。

青年会議所(JC)とは

1949年、戦後の混沌とした時代の中、全国各地の志ある若者たちが立ち上がったのが青年会議所の始まりでした。その2 年後の1951年、全国各地で活動していた青年会議所が集まり日本青年会議所(日本JC)を創立しました。1951 年2 月9 日東京商工会議所2 階会議室で、日本青年会議所の創立総会が開催され、東京青年会議所理事長の黒川光朝が初代会頭に就任しました。
ここにJC運動の要というべき日本青年会議所が、7の会員会議所と48名のチャーターメンバーによって誕生しました。以来、日本の青年会議所運動の中軸として、各地の青年会議所と連携し活動を展開しています。日本全国704 の地域で「修練」「奉仕」「友情」という三信条のもと、「明るい豊かな社会」の実現を目指して率先して行動する青年経済人の団体が青年会議所(JC)です。

青年会議所の特徴

青年会議所には、20歳から40歳までの品格ある青年であれば、個人の意志によって入会できます。
そして会員は、40歳を超えると現役を退かなくてはなりません。この年齢制限は青年会議所最大の特性であり、常に組織を若々しく保ち、果敢な行動力の源泉となっています。青年の真摯な情熱を結集し社会貢献することを目的に組織された、青年のための団体だから設けられた制度です。

各青年会議所の理事長をはじめ、すべての任期は1 年に限られます。会員は1 年ごとにさまざまな役職を経験することで、豊富な実践経験を積むことができ、自己修練の成果を個々の活動にフィードバックさせていくことができます。青年会議所におけるさまざまな実践トレーニングを経験した活動分野は幅広く、OBも含め各界で社会に貢献しています。たとえば国会議員をはじめ、知事、市長、地方議員などの人材を輩出、日本のリーダーとして活躍中です。

国際青年会議所(JCI) について

日本青年会議所は国際青年会議所(JCI:Junior chamber International)の一員です。国際青年会議所は世界112 か国・27 万人以上、 OB は250万人以上という団体です。アメリカ合衆国第42 代大統領ビル・クリントン氏、第7 代国連事務総長コフィー・アナン氏、 フランス共和国第5 代大統領ジャック・シラク氏も青年会議所のOBです。その他数多くのメンバー・OB が世界中で活躍しています。

JCIへの正式加盟

日本青年会議所創立初年度の大事業としてJCI との提携がありました。1951 年5 月にカナダ・モントリオールで開催された第6回JCI 世界会議には黒川会頭を含む6 名の代表団を派遣しました。開会式において、時のJCI 会頭フィリピンのラモン・ロザリオは、冒頭演説で「JC には国境も民族もない。それは、全世界の青年のものである。

その誇りにおいて、我々は今ここに、かつての敵国日本のJC 代表団を、心からなる歓迎をもって迎えようとする。」と述べました。JCI 正式加盟は直ちに日本JC へ打電されました。サンフランシスコ講和条約調印以前に国際団体に加盟している日本の団体はロータリーのみでした。

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